※これはフィクションです。実在の宗教、信仰、団体、地域とは一切関係ありません。
これより先はまだ描かれていない。
現在
2○1○年XX月X日。
ねこぱんは、創造神によって海の上に生み出された大地の上に築かれた、発展途上の都市である。 本日新しい市民の受け入れが、正式に開始された。
しかし、創造神が本当にこの大地から手を引いたのかは、誰にも分かっていない。
この街で使われる言葉
- 創造 ── 2○○4年4月17日、太平洋の海上に大地が現れた出来事。原因は今も科学的に説明されていない。
- 律動(りつどう) ── 大地がわずかに脈打つように動く現象。地震に似ているが、周期と規則性が自然の地震と一致しない。
- 神気(しんき) ── 地下から立ちのぼる無色の気体。低濃度では無害だが、高濃度の場所では人が長く留まることができない。
2○1○年6月30日
メカニックが設立される
市内の車両数が増えたことで、整備や修理を担当するメカニックの必要性が高まった。 都市開発局は、市営のメカニックを設立し、整備技術を持つ市民を対象に従業員募集を行った。 しかし、整備用の設備や交換部品の多くを日本からの輸入に頼っていることに加え、技術者と市民数が不足している。 そのため、現在は車両の修理を中心に行っており、大規模な改造や特殊な整備には対応していない。
2○1○年
2○1○年2月14日
市民参加型都市運営方針が発表される
市長は、行政だけで街を完成させることはできないとして、市民参加型の都市運営方針を発表した。 市民が新しい事業を提案し、街に必要と認められた場合には、営業許可、建物、土地、補助金などを検討する制度が作られた。 ただし、建物や土地の利用には、都市開発局と防災局による地盤・律動安全調査が必要とされた。 この方針によって、市民一人ひとりの活動が街の発展へ直接影響するようになった。
2○○9年10月9日
未登録の地下通路が発見される
都市開発局による地盤調査中、市街地から離れた地域で、地下へ続く大規模な空洞が発見された。 空洞の壁面は自然にできたとは考えにくいほど滑らかで、一定の間隔で通路が枝分かれしていた。 さらに、内部の一部には過去の調査団が設置したと思われる設備が残されていた。 行政記録には、この区域で正式な調査が行われた記録が残されていなかった。 市役所は安全確認が完了するまで周辺を立入禁止区域に指定した。 この発見が、創造の秘密や未解明の資源に関する噂をさらに広げることになった。
2○○9年7月28日
地下観測施設の建設が開始される
防災局は、日本の研究機関の協力を受け、島地下の律動を監視するための観測施設建設を開始した。 観測施設では、地熱、地盤の変位、律動の周期などを継続的に記録する計画が立てられた。 しかし、建設予定地の一部で高濃度の神気が確認されたため、工事は予定より大幅に遅れることになった。 観測施設周辺は一般市民の立入が制限され、警察による巡回対象となった。
2○○9年4月17日
島の誕生から5年を迎える
創造から5年が経過した。 防災局と国際研究機関は、島地下の律動が完全に停止したわけではないとする調査結果を公表した。 島中央部の地下には現在も大規模な熱源が残されており、一部では神気の噴出や微弱な律動が観測されていた。 市長は、市民生活に直ちに重大な危険が及ぶ状況ではないと説明する一方、観測設備と避難計画の強化を表明した。 この頃から、市民の間では「島の地下には、創造のときに置かれた何かがそのまま残されている」という噂も語られるようになった。
2○○8年7月7日
市営組織職員の中立義務が制定される
警察、EMS、市役所、市営おにぎり屋の職員に対して、中立性と守秘義務が定められた。 警察官は証拠と法律に基づいて行動し、EMSは負傷者の立場に関係なく治療を行うことになった。 市役所職員は、黒組織に関する噂だけを理由に、市民の行政手続きを拒否できないことが定められた。 一方で、職員が犯罪組織と不正な関係を持った場合は、監査委員会や警察の調査対象になる。
2○○8年5月10日
警察の証拠主義が定められる
黒組織対策の強化と同時に、警察による不当な逮捕を防ぐため、捜査には証拠が必要であることが定められた。 警察は、噂や外部情報だけを理由として市民を逮捕することはできない。 逮捕や処分には、警察官自身が目視によって確認した事実、目撃証言、記録、現場証拠、捜査によって得られた情報など、街の中で確認された根拠が必要となった。 これにより、黒組織は表向きには一般市民として生活しながら、警察は事件を通じて裏側の関係を調べるという構造が作られた。
2○○8年3月21日
黒組織の公然活動を禁止する方針が明文化される
法務局、公安局、警察の協議により、黒組織の扱いが正式に明文化された。 黒組織は、現実世界の犯罪組織と同様に、表社会で公然と活動できないものとされた。 黒組織の構成員は、表向きには一般市民、従業員、経営者などとして生活する。 しかし、犯罪組織としての看板、公式拠点、公的な募集、市からの認可などを得ることはできない。 また、市長や市役所が、犯罪組織へ公的な地位を与えることも認められない。 構成員が合法的な企業を持つことはできるが、その企業が違法活動に利用されている証拠が確認された場合、警察や法務局による調査対象となる。
2○○8年2月12日
組織犯罪対策方針が策定される
複数の窃盗事件、密輸疑惑、不正取引の発生を受け、公安局と警察は組織犯罪への対策方針を策定した。 ねこぱんでは、犯罪組織を市の正式な団体として登録する制度は設けられなかった。 犯罪組織は、行政上存在を認められた職業や企業ではなく、法律に反する秘密集団として扱われることになった。 この方針により、犯罪組織が市役所へ登録したり、公共の場で堂々と構成員を募集したりすることは禁止された。
2○○7年11月29日
港湾倉庫で最初の大規模窃盗事件が発生する
日本から輸入された建築資材、医療用品、観測機器の一部が、港湾倉庫から消えていることが判明した。 警察は内部関係者が関与した可能性を含めて捜査を開始した。 しかし、明確な組織名や犯人は確認できず、事件の一部は未解決となった。 この頃から、街の裏側で秘密の集団が活動しているという噂が広まり始めた。 ただし、市役所や警察は、証拠のない集団を正式な犯罪組織として認定することはなかった。
2○○7年8月17日
初の民間事業者募集が行われる
街の経済を発展させるため、市役所は民間事業者の募集を開始した。 募集対象には、メカニック、不動産、運送、飲食、建設などが含まれていた。 しかし、人口不足、資金不足、建物不足に加え、律動の影響を受ける地盤の調査に時間がかかっていたため、すべての事業がすぐに開始されたわけではなかった。 このため、サーバー開始時点では、市営おにぎり屋以外の飲食店や多くの民間企業はまだ準備段階となっている。
2○○7年6月2日
監査委員会が設置される
市の予算や行政運営の公平性を確認するため、監査委員会が設置された。 監査委員会は、市長、行政局、市営組織による公金の利用や権限行使を確認する独立性の高い機関として扱われた。 不正が疑われる場合には、法務局、議会、警察などへ報告を行う仕組みが作られた。
2○○7年4月26日
法務局が設置される
市の法律や条例、行政手続きの確認を行うため、法務局が設置された。 法務局は、市長や各行政局が法律に反する判断を行っていないか確認する役割を担った。 また、市民からの法的な相談、企業設立時の契約確認、危険区域への立入規制に関する法的な管理なども担当することになった。
2○○7年3月8日
ねこぱん議会が設置される
市長と各行政局の代表者によって構成される市議会が設置された。 議会では、予算、条例、公共事業、新規企業の認可方針、防災計画などが話し合われることになった。 市長は最終的な行政責任者であるが、重要な政策については、各局の代表者と協議する制度が整えられた。
議員の地位は、市長、副市長、各行政局の代表者という職に付随するものとされた。 そのため、職に就く者が交代した場合には、議員の地位も新たにその職に就いた者へ引き継がれる。
2○○7年
2○○7年1月19日
副市長職が新設される
市長一人では行政全体を管理することが難しくなったため、副市長職が新設された。 副市長は、市長の補佐、各行政局間の調整、市長不在時の一部職務の代行を行うことになった。 市長が都市全体の方針を決め、副市長が各局の業務進行を支える体制が作られた。
2○○6年10月13日
市の行政組織が再編される
人口と行政業務の増加に対応するため、市長の下に複数の行政局を置く案が決定された。 設置対象となったのは、次の行政局である。
- 財務局
- 市民局
- 公安局
- 防災局
- 産業振興局
- 都市開発局
公安局の下には警察、防災局の下にはEMS、産業振興局の下には飲食店、都市開発局の下には将来的な不動産とメカニックを置く方針となった。 防災局は、地盤の沈下、高潮などを総合的に監視する機関として位置づけられた。 また、市長と各局代表者による議会、行政の不正を確認する監査委員会、法律を扱う法務局の設置計画も定められた。
2○○6年8月22日
4つの市営組織による初期都市運営が開始される
市役所、警察、EMS、市営おにぎり屋の4組織を中心とした都市運営が始まった。 この4組織は、市民の生活と安全を維持するために最低限必要なものとして、市が直接運営した。 市役所は行政と避難情報の管理、警察は治安維持と危険区域の警戒、EMSは医療と災害救助、おにぎり屋は食料供給を担当した。 この時点では、不動産、一般飲食店、運送会社などの民間企業はまだ存在していなかった。 車両の簡単な管理や建物の割り当ては、市役所と都市開発担当者が直接行っていた。
2○○6年7月1日
市営おにぎり屋が開店する
開拓作業員、市職員、警察官、EMS隊員、観測員へ安定した食事を提供するため、市営おにぎり屋が開店した。 当時の街には民間の飲食店が存在せず、食料の多くは市役所によって管理されていた。 日本から輸入された米と海苔を利用でき、持ち運びや保存が比較的しやすいことから、おにぎりが市営の食事として選ばれた。 おにぎり屋は産業振興局の管理下に置かれた。 市民へ食料を提供するだけでなく、市民同士が情報交換を行う交流場所としても利用された。 災害発生時には、避難所や各市営組織へ非常食を供給する役割も担うことになった。
2○○6年6月14日
ねこぱんEMSが設立される
建設現場での事故、交通事故などの増加に対応するため、市営EMSが設立された。 EMSは防災局の管理下に置かれ、負傷者の処置、搬送、災害救助、律動発生時の救護などを担当した。 この時点では大規模な総合病院は存在せず、小規模な救急施設を拠点として活動していた。 医薬品や医療機器、防護マスクなどの装備の多くは、日本を含む友好国から輸入された。
2○○6年5月6日
ねこぱん警察が設立される
人口の増加に伴い、窃盗、交通事故、住民同士の争い、立入制限区域への無断侵入が発生するようになった。 これを受け、市長の指示によってねこぱん警察が設立された。 警察は公安局の管理下に置かれ、市内巡回、交通整理、事件対応、市営施設の警備などを担当した。 開始当初の警察は人員も車両も少なく、街全体を常に監視できる状態ではなかった。 日本から輸入された車両や通信設備が、一部で使用された。
2○○6年4月20日
ねこぱん市役所が設置される
仮設行政施設を利用し、ねこぱん市役所が正式に設置された。 市役所は、市民登録、就労手続き、物資配給、建物管理、事業申請などを行う行政の中心となった。 また、律動に関する警報や立入制限区域の情報も、市役所を通じて市民へ伝えられることになった。 サーバー開始時点でも、市役所は市長を中心に運営されている。
市民局、財務局、公安局、防災局、産業振興局、都市開発局については、必要に応じて職員や代表者が任命される仕組みとなった。
2○○6年3月3日
初代市長が選出される
住民と開拓関係者による選考を経て、ねこぱんの初代市長が選出された。 市長は、都市開発、予算管理、市営組織の設立、外国との交渉、防災計画などを担当することになった。 ただし、都市はまだ小規模であったため、市長が多くの業務を直接管理していた。
副市長や各行政局は、将来的な設置を前提として準備が進められた。
2○○6年1月12日
ねこぱん設立準備委員会が発足する
開拓地域を正式な都市として運営するため、ねこぱん設立準備委員会が発足した。 委員会は、行政、財政、治安、医療、産業、都市開発、防災などの基本制度を作る役割を担った。 特に、律動の再活性化、神気の噴出、高潮に備えた防災体制の整備が重要課題とされた。
この時点では、市長はまだ正式に選ばれておらず、開拓委員会の代表が暫定的に行政を管理していた。
2○○5年7月18日
日本との定期輸送航路が開設される
日本と島を結ぶ定期輸送航路が試験的に開設された。 日本からは、食料、車両、医療用品、建築資材、観測機器などが輸入された。 島から日本へは、調査によって採取された鉱物資源、島の岩石、石材などが試験的に輸出された。 ただし、輸入量に対して輸出量は少なく、島の運営は日本を含む友好国からの支援に大きく依存していた。
律動や海水温の変化によって航路が一時的に変更されることもあり、安定した物流網の構築は大きな課題として残された。
2○○5年5月9日
最初の仮設住宅が完成する
開拓作業員、技術者、医療関係者、観測員が生活するための仮設住宅が完成した。 住宅は簡易的な構造で、一部の建物では電力や水道の供給が不安定だった。 それでも、島内で継続的に生活できる環境が整い始めたことで、開拓に参加する人員が徐々に増えていった。
この時点で、街の人口は開拓関係者を中心に数百人程度だった。
2○○5年2月16日
日本との初期支援協定が締結される
日本と開拓委員会の間で、NEKOPAN開拓地域への支援協定が締結された。 日本は次の物資と技術を提供することになった。
- 建設機械
- 作業車両
- 発電設備
- 浄水設備
- 医療用品
- 通信機器
- 食料
- 律動観測機器
- 神気の測定設備
- 潮位観測設備
- 防災技術
この協定により、日本はNEKOPAN地域の主要友好国として位置づけられた。 日本は物資の提供だけでなく、律動の監視、避難計画、耐震・耐熱建築、港湾整備などの技術面でも開拓を支援した。
その後も、日本とNEKOPAN地域の間では、輸入と輸出が継続的に行われることになる。
2○○5年1月8日
NEKOPAN開拓計画が発表される
島南部に新しい都市を建設するため、「NEKOPAN開拓計画」が正式に発表された。 この計画では、最初に市民の生活に必要な最低限の設備を整備し、その後、人口、経済状況、律動の調査結果に応じて都市を拡大する方針が示された。 最初に建設する設備として、次のものが選ばれた。
- 仮設港
- 物資倉庫
- 発電設備
- 浄水設備
- 仮設住宅
- 行政施設
- 救護施設
- 食料配給所
- 律動観測設備
- 緊急避難施設
計画の時点では、現在のような市街地は存在していなかった。 都市の予定地には、創造のときに現れた黒い岩、砂、未舗装の土地が広がっていた。
地下には現在も高温の区域が残されており、建設前には地盤調査と地熱調査を行うことが義務づけられた。
2○○4年12月10日
島の国際共同開発が決定される
長期間の協議の結果、島を特定の国家の領土とせず、国際協力によって開発する方針が決定された。 島では独自の自治制度を作り、将来的には世界各国から移住者を受け入れる計画が立てられた。 名称については、「新しい大地」を意味する「ノヴァ・テラ」なども候補に挙がった。 しかし、島に最初に上陸した調査団が現地でそう呼んでいたことから、最終的に「ねこぱん」が仮称として採用された。 島南部の上陸地点周辺は、律動の影響が比較的少なく、地盤も安定していると判断されたため、最初の都市を建設する候補地として指定された。
2○○4年9月27日
島の領有権をめぐる国際会議が開始される
島をどの国が管理するのかを決めるため、国際会議が開かれた。 一部の国は、島の周辺海域や資源調査への貢献を理由に領有権を主張し、別の国は国際的な共同管理を求めた。 また、島を資源採掘だけに利用するのではなく、新しい国際都市として開発する案も提出された。 日本は、人の手によらずに現れた大地を特定の国が独占するべきではないと主張した。 そのうえで、世界各国の人々が生活できる開拓地域として利用し、創造の研究、防災技術、資源開発を国際協力のもとで進めることを提案した。
2○○4年8月19日
島内で複数の天然資源が発見される
国際合同調査団の調査によって、島内に複数の天然資源が存在することが判明した。 確認された資源には、鉄鉱石、銅、石材、天然ガス、硫黄、希少金属などが含まれていた。 これらの資源は、いずれも本来なら長い年月をかけて地中に蓄えられるものであり、創造からわずか数か月の大地に存在していることは説明がつかなかった。 また、島の土壌は、時間をかけて整備することで将来的に農業へ利用できる可能性があると判断された。 さらに、地下に残された熱を地熱発電へ利用できる可能性も指摘された。 この発見をきっかけに、各国政府や企業の間で島への関心が急速に高まった。
資源開発の権利や島の管理権を求める声が増え、国際的な対立が発生する可能性も指摘されるようになった。
2○○4年7月2日
国際合同調査団が初上陸
大地の律動がある程度落ち着いたことを受け、国際合同調査団が島へ初めて上陸した。 上陸地点は、島南部の比較的地盤が安定しており、神気の濃度が低い沿岸地域だった。 調査団は仮設テントと観測設備を設置し、地盤、水源、大気、地熱、神気、地下構造などの調査を開始した。 島の中心部には、周囲より一段高くせり上がった広大な区域が存在していた。 一部の地域では地面の温度が非常に高く、地下から硫黄を含む蒸気が噴き出していた。 調査の結果、島には地下水が存在し、一部地域では生活用水として利用できる可能性があることが確認された。 また、周辺海域には豊富な栄養が供給されており、魚介類が多く、将来的に漁業を行える可能性も示された。
しかし、道路、電気、水道、港などの設備は存在せず、島で生活するためには、ほぼすべてを一から整備する必要があった。
2○○4年6月11日
国際合同調査団が結成される
国際機関と各国政府の協議により、島の安全性、律動、天然資源を調べるための国際合同調査団が結成された。 調査団には、次のような専門家が参加した。
- 地質学者
- 地震研究者
- 海洋研究者
- 大気の専門家
- 建築技術者
- 医師
- 防災専門家
- 港湾技術者
- 神話及び宗教学の研究者
日本からも、地質、地震、高潮、耐震建築、港湾建設を専門とする調査員が派遣された。
日本は創造の直後から周辺海域の観測に協力しており、大気の分析、潮位予測、地盤調査などにおいて重要な役割を担うことになった。
なお、調査団に神話及び宗教学の研究者が加わったのは、この時点で複数の国の記録に、創造とほぼ同じ光景を伝える古い伝承が残されていることが指摘されたためである。
2○○4年5月3日
島周辺が国際警戒海域に指定される
新たに現れた島の周辺では、大地の律動が継続していた。 海面下では地形の変化が続き、海水温の異常な上昇や神気の噴出が各地で観測された。 そのため、各国は島の周辺海域を一時的な国際警戒海域に指定した。 許可を受けていない船舶の進入は禁止され、調査船や救助船も安全確認を行いながら活動することになった。 航空機についても、島の上空で計器が正常に動作しない事例が複数報告されたため、島周辺の飛行が制限された。 この頃から、島の地下には巨大な空洞と、通常では説明のつかない天然資源が存在する可能性があるという情報が広まり始めた。
複数の国や企業が島に関心を示したが、律動が続いていたため、本格的な上陸は行われなかった。
2○○4年4月24日
海上に新たな陸地が確認される
創造から一週間後、複数の国の観測機関が、これまで海だった場所に新しい陸地が現れていることを確認した。 新しい陸地は、海底から隆起した岩盤と、その上に堆積した黒い砂によって形成されていた。 陸地の拡大は完全には停止しておらず、数日間にわたって広がり続けた。 最終的に、新しく形成された島は小規模な国家に匹敵する面積となった。 誕生直後の島は、黒い岩、砂、地割れに覆われていた。 各地から高温の蒸気や神気が噴き出し、地下では律動が頻繁に発生していたため、人間が安全に生活できる状態ではなかった。 世界各国の報道機関は、この島を「新大陸」「太平洋新島」「神の島」などと呼んだ。
この時点では、正式な名称は決められていなかった。
2○○4年4月17日
創造神が海の上に大地を生み出す
現地時間午前4時18分、太平洋上の深海部から、天へ向かって巨大な光の柱が立ちのぼった。 光は約40分間にわたって観測され、その間、周辺海域の海水は光の柱を中心として大きく退いた。 各国の観測機関はこの現象を記録したが、地震計にも火山観測網にも、これに先立つ前兆は一切記録されていなかった。 光が消えたとき、それまで水深数千メートルの海があった場所に、広大な岩盤が現れていた。
同じ時刻、世界各地の宗教施設や古文書の保管庫で、原因の分からない振動が確認されたという報告が相次いだ。 複数の国に伝わる古い伝承には、いずれも「海の上に手が置かれ、大地が持ち上げられる」という共通した光景が記されていた。 この一致から、現れた大地は自然現象によるものではなく、創造神と呼ばれる存在の手によるものではないかと語られるようになった。
各国政府は、当初この現象を海底火山の噴火として説明しようとした。 しかし、噴火であれば必ず観測されるはずの噴煙、火山灰、溶岩流のいずれも確認されなかった。 発表は数日で撤回され、現在に至るまで、公式には原因不明の現象として扱われている。
この日は、後にねこぱんが誕生する最初のきっかけとなった。
創造神が姿を現したという記録は、この日以降、ひとつも残されていない。